上田城の次はここ、真田の郷を訪れるべし!特に真田氏歴史館と長谷寺、信綱寺は必須!
上田城を訪れただけでは、真田のにわかファン感が抜けませんよ。なんせ、もともと上田は真田の土地ではありません。真田氏の土地は「真田の庄」という上田から菅平方面に向かう山地です。有名どころでいうと「砥石城」の方が真田の庄に近いですね、上田城よりも。
参考記事:真田ファンはここに行かなきゃ始まらない!まずは上田城を攻略しよう
なので、真の真田ファンは上田城を攻略したら「真田の郷」に向いましょう!上田まできたらちょっと頑張って足を伸ばす甲斐がありますよ。いざ、真田の郷!!
ゆきむら夢工房を拠点にしよう
真田の郷には真田にまつわる場所がたくさんあります。真田の菩提寺やあの有名人が眠っているお墓、真田資料館など1日かけてでも観て回る価値は十分です!そんな真田の郷をめぐるには、まず「ゆきむら夢工房」を観光の拠点としましょう。
真田の郷を訪れるには、上田から車かバスを使います。約30分というところでしょうか。バスは上田駅からここ、ゆきむら夢工房行きがでてるのでまさにこのゆきむら夢工房が真田の郷を観光する拠点となります。ここでは各種パンフレットやお土産、ご飯も食べることが可能です。また、ここから真田の郷をまわる循環バスもでてるので、なかなか便利ですよ。そしてなんと、電動アシスト付の自電車も無料でレンタルしています!
ですが!!なんですが、ここ真田の郷はかーなりの複雑な山間部で構成されているのでいくら電動アシストがあるからといえ、自転車ではそれなりの覚悟が必要です笑 一番は時間の制限が無いマイカーでいくのがベストですが、そうでない方は真田の郷循環バスを使用しましょう。
真田氏歴史館と真田屋敷跡は最初にいくべし!
真田の郷はそれなりに広いので、的をしぼって回る必要があります。ですが、最初に訪れたいのはなんといっても「真田氏歴史館」です。また、真田氏歴史館は真田氏屋敷跡とも併設されているので、同時にみることができます。この歴史館は上田城で展示されている「真田丸展」とは、言葉は悪いですがかなりレベルに雲泥の差があります。決して広くはないんですが、真田氏の深いところまでマニア向けに各種情報が揃えられています。おすすめですよ。
道路標識が真田一色
真田氏歴史館
歴史館のお隣には真田氏館跡に真田神社が建てられています。館そのものは無いとはいえ、館があった跡の遺構がかなりわかりますよ。真田氏屋敷は山のうえにたてられており、土塀で囲まれているため、かなり守りにも意識が高かったと推測できます。見晴らしは抜群です。要所にたてられていますよ、やはり。
真田神社
説明板
かなり山腹にある
ちなみにこの真田氏屋敷ですが、真田幸隆・真田信綱・真田昌幸が使っていたとされ、とくに真田昌幸に関しては上田城に入る前まではここにいたそうですよ。近くに「真田本城」というのがあるのですが、かなり山の上にあるいわば山砦なので、普段の居住はこちらだったんでしょう。
真田幸隆と真田昌幸が眠りし長谷寺は必須!
次に向かったのが「長谷寺」というところです。長谷寺と書いて「ちょうこくじ」と読みます。このお寺を訪れる理由、それは真田氏の祖といわれている「真田幸隆」と真田氏を大名までおしあげた真田幸村の父、「真田昌幸」のお墓があるからです。これは、拝みにいかないわけにはいきますまい。この長谷寺もかーなり山を上ったところにあるので、電動アシスト自転車だと難儀ですよ笑
長谷寺
墓標説明板。この横にお墓があります。
自然と六文銭が・・泣けます
真田幸隆は真田幸村の祖父であり、真田昌幸の父にあたります。武田信玄が信濃攻略をする際に武田方に加わり、武田信玄が二度も痛い敗北を喫し、落とせなかった「村上義清」の「砥石城」を策略を使い攻略します。その後も数々の武功をたて、真田氏の礎を築きます。ちなみに、六文銭を旗印として使い始めたのもこの人です。その後、砥石城で病死します。享年62歳でした。
真田昌幸は真田丸を見た人なら記憶に新しいでしょう。草刈正雄が熱演していましたね。時流をよみ、近隣の強国と同盟や手引きを繰り返し、真田氏の独立性を保ちます。ついには、徳川の二度の大軍を上田城にで破り、その名を全国に轟かします。昌幸は関ヶ原の戦いで西軍について東軍である徳川軍と戦って勝つわけですが、西軍の大将である石田光成が家康に1日で敗れたため、幸村とともに和歌山県の九度山に幽閉され、そこで没します。享年65歳でした。九度山で没しますが、その後遺髪や爪等が真田の郷に送られ、ここ長谷寺に父幸隆と一緒に眠っています。
不思議な静寂につつまれた場所でした。ですが、幸隆と昌幸に手を合わせられて本当に良かった。それだけでも上田・真田に訪れた価値はあります。
見たかった、信綱寺!!
真田の郷は思ったより広く、残念ながらここで時間切れとなってしまい、上田駅の帰路についてしましました。最低でもあと「信綱寺(しんこうじ)」にはいきたかったのですが・・・・・
真田を知っている人であれば、この「信綱」という文字を見ただけで反応できますよね。そう、「真田信綱」です。ここ信綱寺には「真田信綱」と「真田昌輝」が眠っています。この二人は、真田幸隆の息子であり、真田昌幸のお兄さん達にあたります。なぜ、真田昌幸が真田家当主になれたかというと、この二人の兄があの有名な「長篠の戦い」で戦死してしまうからです。織田・徳川連合軍の鉄砲にやられてしまいます。信綱と昌輝の首級は家臣・白川勘解由兄弟が信州に持ち帰り、信綱寺の桜の下に葬られました。
残念ですが、信綱寺は次回にとっておきます。上田を訪れたら、絶対に上田城だけでなく真田の郷も訪れてみてください。そして、偉大なる真田一族を感じましょう。
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