渥美や熱海と語源は同じ?安曇野の地名の由来を簡単に解説

azumino

久々の地名シリーズです!今回の地名は「安曇野(あずみの)」です。これ、まずどこにあるか分かりますか??行政区分で言うと、「長野県安曇野市」というところで、位置的には松本城がある松本や、長野五輪の舞台ともなった白馬の近くです。なぜこの地名を知るに至ったかというと、私事ですがスノボで白馬に行く機会がちょこちょこありまして、車でいく場合この安曇野を通るわけです。

 

安曇野の名物はその気候と豊富な湧水からわさびなんですが、それはひとまず置いておいて今回は「安曇野」の地名の由来をさぐっていきます。普通にこの地名を見たとき、変わった名前だと思いませんか??実はなかなか、奥が深くて興味深いんです。




 

アズミ人はその歴史古く


この「安曇野(あずみの)」なんですが、最初に言ってしまうと言葉の文字を考えても決して分かりません。なので結論を先にいうと、「アズミ人、またはアズミ族」に由来しています。漢字表記上では「安曇族や阿曇人」など書いたりしますが、ここでは「アズミ人・アズミ一族」と書くこととします。では、このアズミ人はどんな一族なのかを説明ます。

 

アズミ人は古代中国の「呉」という国からまだ日本が倭と呼ばれていた時代に海を渡ってやってきた渡来人と言われています。彼らの一族は「海人」と呼ばれており、今で言う「福岡県の志賀島一帯」を本拠地にしながら、主に海運や貿易を主たる生業としていた海に生きる一族として知られています。

 

ここで一つの疑問が生じませんか??長野県の安曇野は九州はおろか、およそ海とは程遠い場所にあります。長野県は海が一切ありませんし。では、なぜアズミ人と安曇野がどういう関係か、ここからは個人的な推察になりますが、お聞きください。

 

磐井の乱(いわいのらん)がアズミ一族が散ったきっかけか


ここからは推察です。西暦527年に「磐井の乱(いわいのらん)」というのが発生します。これはどういう事件かというと、朝鮮半島へ出兵しようとしたヤマト王権を、筑紫国(今でいう福岡)の磐井という豪族が阻止しようとした事件です。当時、アズミ一族は筑紫国を本拠地としていました。なので、磐井の乱発生時、アズミ一族は磐井一族に味方したと考えられます。なぜか?もちろん、根拠地安堵という意味もありますが、アズミ一族は海人です。海運や貿易を行う際、政治的や軍事的にも海は荒れていない方が良いに決まっています。そのため、ヤマト王権の朝鮮出兵を阻止する磐井一族に加担したのでは?と考えられます。

 

ですが、結果はヤマト王権の勝利に終わります。この時代、敗者は土地を奪われるのが鉄則なので、土地を奪われたアズミ族は日本全国に散らばっていったと考えられます。アズミ族が日本全国に散らばったのは6世紀と言われているので、時代的にも一致します。そして、アズミ人の一部が今の長野県にたどり着き、そこで集落を開きます。そこから「アズミ人の土地」という意味の「安曇野」になったと考えることができます。

 

ちなみに、663年に「白村江の戦い(はくすきのえのたたかい)」とうい朝鮮半島の白村江うヤマト王権・百済連合軍対唐・新羅連合軍の戦いが勃発しますが、そこでヤマト王権側に「安曇 比羅夫(あずみのひらふ)」という将軍がいます。この人は名前の通りアズミ一族です。しかし、この戦いで戦死してしまいます。ですが、今でも「長野県安曇野市の穂高神社に安曇連比羅夫命として祭られている」んです。このことから、安曇野とアズミ一族がリンクすることが見て取れます。



渥美半島や熱海もアズミ族が関係している?


実は、アズミ人に由来する土地は「磐井の乱で負けたアズミ人が日本全国に散った」と言いましたが、アズミという名前に由来していると思われる地名が日本全国にあります。一例ですが、以下の通りです。

  • 熱海
  • 渥美半島
  • 安曇川(滋賀県)
  • 厚見群(岐阜県)
  • 飽海群(山形県)

 

安曇川なんで、もろ安曇野と字が同じですよね。また、アズミ人は海人だったので船での移動は容易だったと考えられます。そのため、海沿いである渥美半島や熱海、飽海群は上陸しやすかったのかもしれません。

ちなみに、冒頭少し話しましたが、安曇野の名物は「わさび」です。特に、安曇野で食べるわさび蕎麦は最高ですよ。温泉も豊富にでます。ぜひ、安曇野に訪れる際は、アズミ人に思いを馳せながら、わさびそばで舌鼓を打ってくださいね。




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