豊臣秀吉による小田原征伐の舞台ともなった八王子城、これだけは知っておくべし!
さて、ついに行ってきましたよ「八王子城」!!!私は高校生活を八王子で過ごしていたにもかかわらず、一度も八王子城に登ってないというまさに灯台下暗し的な過ごし方をしていたので、ここにきてようやく八王子城にいくことができました。
八王子城といえば「豊臣秀吉が小田原(北条)征伐」の時に激戦地となったことでも有名ですよね。そんな八王子城を登る前に知っておくべきことと、その登城レビューをしたいと思います。
八王子城が築城されたきっかけを知ろう
八王子城は完成したのが1587年頃といわれています。これって、城の中ではかなり遅いほうなんです。ほぼ、江戸時代に突入しようとした時期ですからね。「なぜこんなに遅いのか?」というのがポイントでして、その要因は「小田原城の支城である滝山城が武田信玄によって攻められ、その防御力の甘さが露呈したから」なんです。
滝山城の城主であった「北条氏照(北条氏康の三男)」はその危機を感じ、さらなる防御拠点として八王子城を完成させます。そのため、八王子城の城主も滝山城と同じく北条氏照でした。なので、「滝山城を登ったあとに八王子城を登る」のが歴史的再現としても一番良いコースです。その2城は近いですしね。
<参考記事>
北条氏照の予感的中、さっそく攻められる八王子城だが・・・
滝山城の防御力限界が露呈し、滝山城城主である北条氏照はより堅固な城として八王子城を築城したことはここまでで分かりましたね?それが、1587年頃です。しかし、その北条氏照の予感は早速的中していまいました。それは、「豊臣秀吉による小田原(北条)征伐」です。1590年のことでした。これはとても簡単な言い方をすると「天下統一を目指していた豊臣秀吉が(いろいろこねくりまわした理由をもってして)関東王国を築いていた北条家を征伐した」事件です。北条家の本城は「小田原城」なので「小田原征伐」というわけです。
というわけで、豊臣秀吉の圧倒的な大軍は関東を次々と攻めていきます。豊臣軍はまず関東各地の北条支城を落とした後、最後に本城である小田原城を囲むという作戦でした。なので、八王子城も支城の一つとして攻められてしまったわけです。
北条家の守備システムというのは少々独特で、小田原が緊急令を発動した場合は、基本的に関東各地の支城の城主が城兵約半数を引き連れて小田原へと馳せ参じます。なので、城を守備する部隊というのは「城主不在、かつ半数の兵」で守らなければいけませんでした。「小田原城が落ちなければ大丈夫」ということから発生したシステムなのでしょう。そう、この八王子城が豊臣軍に攻められたときも「城主であり、戦上手の北条氏照は不在」でした。八王子城の悲劇の一つがこれです。
八王子城が攻められた時の陣容はこんな感じです。軍容の差は歴然です。豊臣軍の将軍は名だたる将に対して、城主不在の北条軍は心もとない感じです。
<豊臣軍:15,000人>
- 前田利家
- 上杉景勝(上杉謙信の後継)
- 真田昌幸(真田幸村の父)、他
<北条軍:3000人>
- 横地吉信(城代)
- 狩野一庵
- 中山家範
落城とその伝説
豊臣軍の精鋭に攻められた八王子城はたったの1日で落城してしまいました。その中、北条方の多くの武士や老若男女にいたるまで山内の滝に身を投げ、下流の川は三日三晩赤くそまっていたそうです。
そのため、以下の伝説が私の住んでる近辺ではいまだにあります。
- 幽霊がでるため、落城日の6月23日には八王子城には近づかない(私の先輩も見ています笑)
- 城山の川の水で米を炊けば赤く米が染まるほどだったと伝えられており、現代も風習として先祖供養にあずきの汁で米を炊いた「あかまんま」(赤飯)を炊く
という八王子城の事前知識を知った上で、八王子城に登りましょう。ここからは八王子城レビューとなります!
八王子は見るところがたくさん
八王子城はかなり史跡としても整備されており、大型の駐車場はもちろん、ビジターセンターやボランティア案内人も常駐しており、かなり歴史初心者でも楽しめる感じになっています。
案内所の様子
全体像はこんな感じです。御主殿跡は比較的簡単なコースですが、本丸跡はかなりきついです、本格的な登山となるので覚悟が必要ですよ笑 なので、まずはイージーコースである御主殿跡を目指します。簡単にいうと城主である北条氏照の館ですね。
八王子城全体像
さっそく、古道を通って曳橋へ向います。散歩コースとしても生態系が豊かでとても気持ちよいですよ。ピクニックなんかにもいいと思います。城ピク、略して「城ピク」。来年の流行語確定です。「城ピクしなーい?」みたいな。
古道
曳橋
石垣もいい感じです。平城みたいな大きい石の組み合わせではなく、山城的な荒々さが良いですね。
石垣
注意!とかかれているので、よーく注意しました。「マム」になっていますが。ルパン三世は「マモ」ですね。はい、すいません。
マムシ注意!!
虎口
虎口を抜けると、御主殿跡が見えてきます。これ、なかなかすごいですよ。当時の遺構がよーく分かります。
礎石
側溝
中国の磁器なんかもここで見つかっています。なかなか豪華な暮らしを山奥でしていたんですね。
出土された陶磁器
そのまま、御主殿の滝へ向います。先ほど述べた、多くの武将や老若男女が自刃した場所です。
御主殿の滝
供養塔がありました。毎日、花がお供えされるのでしょう。話には聞いていたので、もっとすごいものものしい雰囲気かと思いきや、とても穏やかな空気と雰囲気でしたよ。
供養塔
さて、ここからが本丸となります。本格的な登山コースです。先に述べておきますと、私は本丸は途中であきらめました!笑 というのもなかなかなコースだったので、軽装すぎてこれでは本丸攻めは失礼だ(?)と思ったので改めて出直すことにしました笑 それが、こんな感じです。
本丸方面入り口
金子曲輪へ
金子丸へ到着しました。この金子曲輪は金子三郎左衛門家重が守備をしていました。
金子丸
なにやら絵的にはあまり登山の厳しさが伝わりませんが、なかなかの急斜面で休むところもほぼありません。この金子丸では休憩所としてベンチが設置されていますが、その後は8合目まで存在しません。そして、本丸までは約60分の登山となります。
いやはや、どうりで滝山城よりもきついわけです。だって、滝山城より強い城として築かれたんですもの。という、北条氏照に感心しつつ、八王子城の本丸攻略は失敗におわったので、第二陣にて本丸攻略を挑みたいとおもいます!笑 その時また、本丸レビューします!
ちなみに、こんなポスターも貼ってあったのですが、いやーこれは是非やってほしい。北条五代の大河ドラマ化。関東人であれば一度は知っておくべきことです。今の関東の礎石は北条家によってたてられた部分が大きいですからね。