なぜ左遷はあって右遷がないのか?左遷の意味と語源・由来を簡単に解説!

「左遷」って言葉、聞いたことありますよね?意味的には「仕事でへまをして、飛ばされる」等、どちらかといえばネガティブワードですよね。意味的には今までの地位より格下げされるような使い方です。さて、この「左遷」という言葉なんですが、「右遷」という言葉は存在しないですよね??なぜ「左」なのか?というのが今回のお話です。

 

実は、「左遷」という言葉は非常に歴史の要素がつまった言葉なんです。その左遷の由来を簡単に解説します。言葉から歴史を学ぶのも歴史を深く知る一つの大事な方法ですよ。




時代背景をつかもう


だいぶ時を遡ります。しかも、舞台は中国です。紀元前の中国に「秦(紀元前221年~紀元前206年)」という国がありました。「始皇帝」でも有名ですよね。キングダムもまさにこの「秦」が中華を統一する話です。

 

その中華を統一を果たした「秦」は、中学や高校の漢文や司馬遼太郎の小説でもお馴染みの「項羽と劉邦」によって滅ぼされます。ちなみに、「項羽」「楚」「項燕 」の子孫であり、「劉邦」の子孫には「三国志」でも有名な「劉備」がいます。脱線しますが、この「項羽と劉邦」の時代はとても面白いですよ。「国士無双」「右に出るものはいない」「背水の陣」等、様々な名言が誕生した時代でもあります。私はこの時代の人物で「韓信」という将軍が好きで、この人が「国士無双」や「背水の陣」の由来の人です。ぜひ、参考にしてみてください。

参考記事:「国士無双」の語源となり、「背水の陣」を考案した人物、韓信にせまる

 

ここまでがこの「左遷」という言葉がうまれてくるにあたっての時代背景です。まずこの時代背景をおさえましょう。

 

劉邦を警戒する項羽


秦を滅ぼした項羽と劉邦でしたが、身分や家柄などは項羽の方が全然上でした。そのため、「覇王」として秦を滅ぼした将軍達に対して、土地を与えるなどの差配をしたのは項羽でした。しかし、人望があり有能な人物がどんどん集まってくる劉邦に対して「いずれは劉邦が私に代わって天下を取るのではなかろうか?」と警戒した項羽は、劉邦になんと「辺境の田舎」を褒美として与えます。それが、「巴・蜀・漢中」です。今で言う「四川省」のあたりですね。

 

この地は中国の中でもかなりの辺境の地で、雲の日が多くまた深い山々に囲まれていました。しかも、罪人の島流しをする場所でもありました。それだけ、田舎を与えられたということです。劉邦は。




「左遷」、爆誕!!


さて、中華の田舎に飛ばされた劉邦、その位置がポイントなんです。当時の中華の中心は「洛陽」あたりでエリア的に「中原」と表現されました。中原は中国の地図でいうところの真ん中なんです。だから「中原」ですね。今の中国は北京や上海等、海沿いにその経済活動の中心が移っていますが、昔は中原が中国の中心でした。

 

その中原からみて、劉邦が飛ばされた「巴・蜀・漢中」というのは「西」に位置します。つまり、地図でみると「左」ですね!はい、これが「左遷」のからくりです。まとめます。

<ポイント>

  1. 劉邦が与えられた土地は中原からみて西(左)だった
  2. 劉邦が与えられた「巴・蜀・漢中」というのは誰から見ても田舎の土地で、辺境の地だった

 

劉邦というのは秦打倒に非常に功績を残した人物です。それであるにもかかわらず、辺境の地に飛ばされました。その土地が西(左)にあったことから、「左遷」という言葉には「左」という文字が付いており、さらには辺境の地だったことから格下げとなるような意味も付加されているんです。

 

史実ではその後、劉邦は項羽を倒し、「漢」という国が樹立します。皮肉にも、項羽の「劉邦に天下を取られるのでは?」という予感はあたったわけですね。以上が、左遷の語源なんです。以外と、奥が深いと思いませんか?「左遷」という漢字二文字に、これほどの歴史が詰まっているんです。まさに、ロマンです。




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