なんと、松本で「敵に塩を送る」の牛つなぎ石を発見!

これまた、松本ぶらり旅をしていたらたまたま発見したシリーズです。いやぁ、松本は歴史の宝庫ですな・・・歩くたびに歴史と出会えます。こんな街、なかなかないですよ!今回、見つけたのが、こちら、どどんっ!

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牛つなぎ石

これ、なんだか分かりますか?私は見た瞬間、「ま・・・まさかっ!!!」と思いましたが、その予感は的中していました!これは、「牛つなぎ石」といって、簡単に言えば「牛を繋いでおく石」なんですが、実はこれ、とある有名なことわざに由来するものなんです。簡単に、解説します!




 

かの有名な「敵に塩を送る」


「敵に塩を送る」ということわざ、聞いたことありますよね?実は、この牛つなぎ石はこのことわざに由来するんです。意味合いとしては、「敵の弱みにつけこまず、逆にその苦境から救う」という意味なんですが、牛つなぎ石を知るには、この基となった話を知る必要があります。

 

時は戦国時代の話です。甲斐(山梨県)と信濃(長野県)の支配者である「武田信玄」は、駿河(静岡県)の支配者である「今川義元」と相模(神奈川県・東京都)の支配者である「北条氏康」と敵対関係にありました。そこで、今川と北条はとある手をうちます。それはなんと、「塩の封鎖」です。駿河と相模にあって、甲斐と信濃に無いもの、それは「海」です。塩は海から作られますよね?当時、塩は必需品でしたから、塩を封鎖するということは経済的にもかなりのダメージを受けます。今で言うところの、経済制裁に近い感じです。

 

困った武田信玄でしたが、それに手を差し伸べた人物がいます。それが、越後(新潟県)の「上杉謙信」です。武田信玄と上杉謙信はライバル中のライバルで敵対関係にありましたが、卑怯な手を嫌う上杉謙信は、なんと武田信玄に「塩」を送り、これを助けたんです。越後には海がありますからね。これには武田信玄も大喜び。

 

この事象から、「敵に塩を送る」ということわざがうまれたんです。では、これと「牛つなぎ石」とどういう関係なんでしょうか?深堀していきます。




 

牛つなぎ石との関係


当時はもちろん車なんぞありません。物を運ぶには人が直接運ぶか、動物を使っていました。そして、上杉謙信から武田信玄に塩を運ぶ際に使われた動物こそが「牛ちゃん」なんです。さらに、当時の武田信玄は、信濃の本拠地を松本においていました。その際に、牛をとめておく際に使われた石こそが、この「牛つなぎ石」と言われているんです。現代でいうところの、駐車場ですね。駐牛場とでもいいましょうか。

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説明板

 

まさか、松本城に向う最中にこのようなものを見つけるとは・・・・一見すると「ただの石っころ」ですが、この石にはこのような歴史背景と由来があるんです。これも、旅でふと出会う歴史感動シリーズです。松本で発見した際は、ぜひ足を止めて説明板を読んでみてください。旅がより楽しいものとなりますよ。




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