将軍家に関係が?三鷹の地名の由来を簡単に解説!

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恒例の地名由来シリーズです。東京の多摩東部に「三鷹」という場所があります。三鷹市のお隣は杉並区なので、多摩ではありますが、東京23区と隣接している市となります。さて、この三鷹なんですが、面白い字だと思いませんか?「鷹」という字からも分かるように、何か鳥と関係していると思いますよね?そして「三」の意味は?詳しく見ていきましょう!




文字を分解してみよう!


地名の由来を探るときの恒例シリーズです!まずは文字を分解してみましょう。どどんっ!

<三鷹を分解>

  • 三・・・数字の3。
  • 鷹・・・鳥の鷹。

はい、今回はいたってシンプルです!これ以外に変化球を除いてあまり考えられないですよね。実は、今回のポイントは「鷹」という字なんです。トップ画にもありますが、いや~かっこいいですよね!鷹は。じょじょに核心に近づいていきますよ。




三鷹の地名の由来はずばり・・・


今はあまり見かけない・・・というよりも衰退してしまったものが関係しているんです。それは、「鷹狩」です。鷹狩は世界各地で行われていましたが、鷹狩というのはいわば「高貴な趣味」です。その中でも特に「鷹狩好きで有名な人物」がいます。それが、「徳川家康」です。何を隠そう、初代江戸幕府将軍ですよね。徳川家康は体を鍛えるだけでなく、鷹狩を通じて関東各地の地理を見てまわったといわれています。

 

その徳川家康は江戸にうつってきた後ももちろん、鷹狩を続けるわけです。しかし、当時の江戸近辺は低湿地帯であり、鷹場としては不向きの場所でした。そこで目を向けたのが、江戸近辺の今の三鷹付近なんです。江戸からの距離もほどよく、自然も豊か。そうやって現三鷹に「鷹場の村」が形成されていきます。

 

そして、この場所というのは「世田谷領」「府中領」「野方領」という3つの領地にまたがっており、「三つの領地にまたがっている鷹場の村々」ということから「三鷹」という言葉が誕生したわけなんです。「領」とういうのは、簡単にいうと幕府直轄地ですね。

 

こうして、三鷹は江戸幕府将軍家ならびに徳川御三家の狩場として、現在にまでその名を残すこととなったんです。個人的には、もし仮に領地が2つ、もしくは4つだったとしたら「二鷹」や「四鷹」になっていたので、「三鷹」が一番しっくりくると切実に思った今日この頃です。いや~三鷹でよかった。




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