豊臣秀吉の指は6本あった?なぜそう言われるかを検証してみる

戦国時代のたまにささやかれる話に「豊臣秀吉の指が6本あった!?」というのをご存知でしょうか?もちろんこれ、歴史の教科書には載っていない話ですが、知る人ぞ知る話なんです。ではなぜ、このような奇怪な話がささやかれるのでしょうか?簡単に解説したいと思います。




 

指が多い多指症とは?


「多指症」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?実は「指が生まれつき多い」人は世の中に少なからずおります。その先天性疾患のことを「多指症」と言うんです。「そんなのかなりレアケースじゃない??」と思うかもしれませんが、意外や意外、1000人に1人~2人の割合で発症するそうです。現代の医療では、生まれた後にその多い指を外科手術にて切り落としてしまうことが多いですが、めちゃくちゃ珍しい症状というわけではないんです。

 

と、いうことはですよ?現代医療においては、多指症で生まれてきたあとに指を外科手術にて切り落としていますが、秀吉の時代にはもちろん現代のような医療技術が無い時代ですから、仮に秀吉が多指症で生まれてきたとしても、そのままにされたことは十分に考えられるわけです。メスはもちろん、麻酔も確立されてないですからね、戦国時代は。

 

次に、その出所をさぐってみましょう。




秀吉が多指症といわれる所以


主に、2つの出典が有名です。1つ目は秀吉の友であり、加賀100万石の大名としても有名な「前田利家」です。彼の『国祖遺言』にはこう記されています。

「大閤様は右之手おやゆひ一ツ多六御座候然時蒲生飛 生飛弾殿肥前様金森法印御三人しゆらく(聚楽)にて大納言様へ御出入ませす御居間のそは四畳半敷御かこいにて夜半迄御 咄候其時上様ほとの御人成か御若キ時六ツゆひを御きりすて候ハん事にて候ヲ左なく事ニ候信長公大こう様ヲ異名に六ツめかな とゝ御意候由御物語共候色々御物語然之事」

 

太字の箇所ですが、お分かりでしょうか?要は、「右手の親指が一つ多い」と書かれていることがわかります。

 

次に、この時代のキリスト教宣教師である「ルイス=フロイス」が編纂した『日本史 豊臣秀吉編』に記載されている内容です。

「優秀な武将で戦闘に熟練していたが、気品に欠けていた。身長が低く、醜悪な容貌の持ち主だった。片手には六本の指があった。眼がとび出ており、支那人のように鬚が少なかった。極度に淫蕩で、悪徳に汚れ、獣欲に耽溺していた。抜け目なき策略家であった。」

 

こちらも太字の部分で、「片手には六本の指があった」とあります。この時代の異国人による書物は大変貴重で珍しく、ある意味で日本を客観的にみているため、ある種の信頼性があります。というのも、秀吉の部下や関係者が記載した場合、秀吉賛美の内容となるため、色眼鏡がかかっている可能性が高いからです。

 

歴史は勝者が作る


秀吉の指が6本であるという出典は主にこの二つの書物となります。ですが、秀吉ほどの有名人であれば、もっと多く出典があってもよいんじゃないか?と思いますが、歴史というのは常に勝者がつくります。仮に、秀吉が自身の6本指を忌み嫌っていた場合、その記述自体を禁令とするでしょう。もちろん、肖像画も同様ですし、その6本指であることを嘲笑することも禁止です。

 

そう考えるとなおさら、「友」である前田利家や、「外国人」であるルイス=フロイスの書物というのは、ある種色眼鏡をかけていない客観性があると思えませんか?そのような考えをめぐらすこともまた、歴史のロマンです。




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