SAでも有名な「談合坂」の地名の由来を簡単に解説!

中央自動車道の代表的なSA(サービスエリア)といえば、やはり山梨県の「談合坂」ですよね!私はよく山梨に行くのですが、多摩と山梨の中間に位置する談合坂SAはほぼ必ず寄ります。かなりでかいSAなうえに、お店もたくさん入っているので、距離・位置的にも食事の際にも非常に便利です。

 

さて、この「談合坂」ですが、面白い地名だとおもいませんか??なんせ、「談合」って入っているんですからね。さて、この地名の由来を解明していきますよ。談合坂の地名の由来は諸説あるのですが、一番近い線を推察してみたいと思います。




 

分解してみよう!


地名の由来をさぐる時の恒例作業です。まずは、分解してみますよ。こんな感じです!

<「談合坂」を分解>

  • 談合・・・話合いをすること。相談。
  • 坂・・・一方は高く一方は低い傾斜のある道。

 

はいっ、、、といった感じですが、むしろこれ以上でもこれ以下でもないですよね。しかし、この「談合」と「坂」という2つの要素が、非常に大事なヒントとなるんです。順番にみていきましょう。論理展開上、まずは「坂」からいきます。

 

「坂」について


少し広めな地図で見てみると、談合坂とはこのあたりです。ちょうど、東京の多摩地方と山梨県甲府盆地の間ですね。このあたりは非常に山深く、いくつもの峠が存在します。その合間を縫って、国道20号(甲州街道)と高速道路が入っているわけです。

この談合坂というのは、多摩から山梨へ、また山梨から多摩へと向う工程上において、ほどよい広さの山間で、位置的にもまさに休憩に適しています。決して広い平野があるわけではなく、山の隘路という感じです。なので、「坂」なのです。まずは、この地理的要素を覚えておいてください。




 

「談合」について


次に、「談合」です。つまり、この多摩と甲府盆地の中間地点である山間において、誰かが「談合」したわけですよね。これを考えるときも、この位置的要素が非常に重要になります。

 

この談合坂というのは先述のとおり、国道20号(甲州街道)や高速道路が入っていることからもわかるように、山梨-東京間における大動脈です。つまり、昔からこの道は使われていたというわけです。ということはですよ?軍事拠点的にも非常に重要な場所であったことがわかります。

 

そして、戦国時代、このあたりでドンパチしていた有名な大名がいますよね?そう、山梨県といえば「武田信玄」、そして関東は「北条氏康」でも有名な「北条王国」ですよね。実はこの談合坂付近というのは、武田と北条の国境であったため、幾度と無くドンパチやりあっていました。談合坂の少し西にある「大月」には武田方の「小山田一族」が「岩殿城」にてこの地を守っていたくらいですからね。それほど、戦略的に重要な地だったわけです。

 

と、いうことはですよ?この地でドンパチやっていた「武田」と「北条」が「和議を締結」するために、武田と北条の国境であるこの地で「談合」したことが十分に考えられますよね?ただし、この推察は歴史的な資料や根拠があるわけではないのであくまで推察となってしまいますが、客観的な地理的位置や当時の情勢を考えると、歴史的な資料には残っていないものの、こういう談合が行われて、それが地元で語りつがれていることは、十分に考えられます。

 

中には、「団子を売っている坂」から「談合坂」に転化したとも言われていますが、歴史はロマンです。自由な発想と想像ができるのが、歴史のまたよいところだと思っています。私としては、「武田と北条の合戦において、談合を行い、停戦を取り決めた場所」という考えをもって、毎回談合坂SAを使用するようにしています。




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