あきたこまちは「小野小町」に由来する?秋田県雄勝町の「道の駅おがち」に寄るべし!
秋田県をぶらぶら南下していた時の話です。みちのくの小京都である「角館」から「大曲」を経て「横手」、「湯沢」と南下をし、もう少しで山形県に差し掛かる手前で「雄勝町」にいある「道の駅おがち」に寄りました。位置的にはこんな感じですね。
そこで、自分の頭のデータベースが急に動きだしました。「雄勝町・・・どこかで聞いたことが・・・・はっ!もしや!!!」
道の駅おがちでのとあるものを見てそれは確信に変わりました。やはり、東北は歴史の宝庫ですね。
その名は「小野小町」
意外や意外かもしれませんが、その名は「小野小町」です!「小野妹子」ではありませんよ、「小野小町」です。小野小町と言えば、平安時代の歌人であり(百人一首にも選ばれていますよね)、絶世の美女としても有名ですよね。「楊貴妃」や「クレオパトラ」とも並び、「世界三大美女」とも言われています。
実は、小野小町はこの「雄勝町」が出身と言われています。当時は「出羽(でわ)」の国と言いましたが、その「出羽郡司(地方長官と思ってください)」である「小野良真」の娘が「小野小町」です。「小野良真」の父親が「小野篁(たかむら)」と言い、都で「参議(高官位だと思ってください)」にまで登った人物です。なので、小野小町も都の流れをくむ人だと思ってください。
小野小町は幼いころから美しく、13歳で都に上ってからはその美しさと才能から、天皇の寵愛を受けたと言います。
道の駅おがちにて
そんな小野小町ですが、道の駅においても「全面的な小野小町推し」をしています。
道の駅おがち
出ました、あきたこまち!!!秋田といえばなんといってもあきたこまちですよね。そして、「小野小町の郷」と完全に小野小町を推し出しています。
あきたこまちと小野小町
あきたこまちとは
ここで、あれっ?と思いませんか??我々が普通に日常使っている「あきたこまち」ですが・・・この「こまち」って実は「小野小町」のことなんです。もう理由は分かりましたよね。小野小町の出身地こそこの秋田県雄勝町なので、それにちなみ、「あきた」と「こまち」を合体させているんですね。
百人一首に出てくるほどの人なので、さぞかし「都の人」だと思う人が多いと思いますが、「小野小町が実は秋田(出羽国)出身」ということを知っている人は少ないんじゃないでしょうか?
道の駅に寄るだけで、こんなにも歴史を感じられる。いや~、こういう意図していない歴史との出会いがいいんですよね。旅の醍醐味です。東北は掘れば掘るだけ歴史がでてきますね。もしかして、小野小町は元祖秋田美人なのかもしれないですね。