道の駅米沢で上杉の「毘」と「愛」を感じた話

これも東北を横断した時の話です。休憩がてら山形県の道の駅「米沢」にぶらりと立ち寄ったのですが、その道の駅で「上杉」をガンガンに感じてしまいました。

 

「米沢」といえば「米沢」「りんご」「鮭」などが有名ですが、歴史的にいえばなんといっても「上杉氏の城下町」ですよね。残念ながら時間がなく、米沢の隅々まで見ることができなかったのですが、道の駅だけでもその歴史の片鱗を十分に感じることができました。




 

道の駅米沢


さっそく、道の駅の看板がこんな感じです、どんっ!

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櫓風の看板

いや~、この櫓風の看板が既に歴史チックで良いですよね。しかも、堂々と「上杉の城下町」って書いてありますしね。この時点でテンションはマックスですよ。

 

そして、次にこれっ!

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ビシャモン

このご当地キャラクター、私は知らなかったんですが、いるんですね、「ビシャモン」!これは、「上杉謙信」をご存じの方ならすぐに分かると思いますが、上杉謙信は闘神である「毘沙門天」を崇拝していましたよね。なので、「ビシャモン」です! コンセプトがとても分かりやすくてよいですよね。上杉謙信に攻められた諸国はこの「毘」という軍旗をみたら、震えていたことでしょう。彼自身も「軍神」と呼ばれていましたからね。

 

そして、次にこれだっ!

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良き自販機

これ、分かりますか??自動販売機に上杉氏由来の言葉が。その中でも、「毘」はさっき出てきたので何と言ってもここで注目すべきは「愛」ですよね!「愛」の武将と言えば、そう、「直江兼続」です!上杉謙信の次当主、「上杉景勝」を支え、大河ドラマ「天地人」では妻夫木聡が直江兼続を演じていましたよね。彼は義に重きを置き、「愛」という字の前立てを付けた兜を付けていたことでも有名ですよね。「愛」=「直江兼続」というのは歴史業界では共通認識となっています。

 

米沢と上杉氏


今でこそ米沢(米沢藩)=上杉氏というイメージがつよいですが、もともと「上杉氏」は足利氏の血縁にて「関東管領」という位置にいました。簡単に言うと「関東の長官」的なイメージと思ってください。なので、この頃は米沢とは全く関係がありません。

 

その後、戦国時代になり関東管領が関東から「越後(新潟県)」に逃げます。当時の越後には「長尾景虎」がいました。長尾景虎は関東管領から「上杉姓」「関東管領」を譲り受けることとなります。それが、「上杉謙信」誕生の瞬間です。

 

その後、上杉謙信は急死し、あとを継いだのが「上杉景勝」です。上杉景勝は上杉謙信の「甥」であり、関ヶ原の戦いでは「西軍(石田三成)」側につきました。関ヶ原の戦いは「東軍(徳川家康)」側の勝利となりましたよね。上杉景勝は戦後処理で「米沢」に左遷となります。ここに、「上杉米沢藩」が誕生するわけです。もともと米沢は上杉氏のものでなく、長らく「伊達氏」のものだったんですよ。あの「伊達政宗」も米沢で生まれていますからね。

 

そんな上杉氏の下、米沢藩はかの「上杉鷹山」等の名君を輩出し、幕末へと続いていきます。そんな上杉愛を、この道の駅一つだけでガンガン感じられたので、他の史跡にも足を運んでみたかったですが、上杉氏の足跡辿りの旅はまた次回にとっておきたいと思います。




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