東京都あきる野市にある隠れた城、戸倉城は檜原街道を望む要所だった

 

私の住んでいる多摩というのは山が多く、かつ戦国時代には「武田信玄」と「北条氏康」が自分の領土を広げるためにドンパチやっていたエリアなので、なかなか山城が多いんです。それも、「八王子城」「滝山城」みたいに有名なものからあまり名の知れていない小城まで大小さまざまです。

 

その中で、今回は東京都あきる野市にある「戸倉城」という小城を訪れてみました。聞いたことありますか??有名、というよりかなりマイナーな部類になるので知らない人が多いと思いますが、何も有名な城だけが面白いんじゃないんです。小城には小城の良いところがあります。さっそく、ご紹介したいと思います。




 

戸倉城へのアクセス


戸倉城は東京都あきる野市にある山城で、位置的に秋川沿いに走っている桧原街道から山道を登ってたどり着くことができます。最寄駅は「武蔵五日市駅」ですが、ここからバスで15~20分くらいでそんなに本数が無いのと、バス停からもかなり上るので車で行くことをおすすめします。というより、車で行かないとかなり小さい城なので、これで終わり??ってなっちゃいます。なので、車で行って近くにある瀬音の湯という温泉につかって帰るのがお奨めコースです。

 

戸倉運動場あたりの山道を進んでいくと、じょじょに戸倉城に近づいてきますよ。山道をくねくね登ってくと「光厳寺」というお寺があるので、そこに車を止めましょう。

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光厳寺

光厳寺はちょうど山頂付近にあり、そこから檜原街道側を見るとこんな風景です。う~ん、夏休みっぽい!!笑

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五日市盆地を望む

そもそも戸倉城って誰のどんな城??


戸倉城について実はその実態はよく分かっておらず、室町時代から戦国時代にかけて存在していた城と言われています。そして、このあきる野市は武蔵国を治めていた「北条氏」の支配下にあったため、北条方の城でした。その中で記録に出てくるのが、「大石氏」という豪族です。というのも、この大石氏は北条氏と関わりが深いんです。北条家の最大版図を築いた「北条氏康」の次男に「北条氏照」という人物がいます。

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戸倉城説明板1

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この人物は滝山城主・八王子城主としても有名ですが、滝山城主になったのは、このあたりを治めていた「大石氏」の名跡を継いだからなんです。それに伴い、大石氏の当主である「大石定久」は滝山城からこの戸倉城に隠居したと考えられています。

 

戸倉城はどんな役割をもっていたか


ずばり、檜原街道における「中継基地」の役割を担っていたと考えられています。このあたりの拠点は滝山城でしたが、八王子城が作られてからは、八王子城に拠点が移りました。そして、対武田氏の前線基地としては「高月城」や「檜原城」があるため、ちょうどその前線基地と滝山・八王子城の間にあるこの戸倉城はその中継基地としての役割があったのではないかと考えられています。檜原街道を見下ろせる地点に戸倉城はあるため、街道のおさえとしても良い位置にあったと思われます。どちらかというと砦に近いイメージですね。

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天然掘の遺構が望める

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なかなかの急勾配

ちなみにここ、「五日市物語」という映画のロケ地になった場所みたいです。なにやら「ロケ地だよー」というアピールをしている看板が立てられていました。全然見たことありませんが。

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近くにある三島神社もおすすめ

「城」と聞いたら、外堀・内堀があって平野にあり、天守閣や石垣を備えた立派なものを想像するかもしれませんが、そういう城は数ある城の中のほんの一部分であり、むしろ日本全国には山城の方が圧倒的に多いんです。そういう城ももちろん楽しいですが、山という天然の地形をそのまま利用した先人の遺構を見ると、いかに地形や地理に熟知し、その土地にあった城を作ったかを目の当たりにすることができます。必要の無いところに城は建てないですからね。湧水や食料が採れることも山城の必須条件です。そう考えると、山城ってとても面白いんですよ。

ふとした山城との出会い、大切にしてみてください。新たな発見がありますよ。というわけで、この夏はそのあたりの山城をめぐってみようと思います。

 




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