山県昌景ファン必見!武田の歴史を感じたければ川浦温泉山県館へ行くっきゃない!

 

山梨県の有名人といえば、やはりあの人。そう、「武田信玄」ですね。現在含め、山梨県が輩出した有名人の中で一番知名度が高いのは信玄ではないでしょうか?戦国時代、武田軍は戦国最強の騎馬隊と恐れられ、あの信長でさえ避けていた相手でした。

 

その戦国最強の武田軍団は、なんといっても優秀な人材の宝庫でした。名将のもとには優秀な人材が集まるものです。武田軍を形成していたのも、その優秀な部下たちでした。その武田家の優秀な家臣団を「武田二十四将」「武田四天王」と表す言葉がありますが、そのどちらにも入っている人物で「山県昌景」という信玄の重臣がいます。私も大好きな武将の一人です。

 

山県昌景の兄である「飯富虎昌」は戦国時代に初めて「赤備え」という武具を赤で統一した部隊を率いたことでも有名で、弟である山県昌景も同じく赤備えでした。「真田丸」でも有名になった真田幸村も同じく赤備えでしたが、その由来はもともと飯富・山県兄弟が発端です。

 

なんと!山梨県の山梨市にその山県昌景の子孫の方が営んでいる温泉旅館があります。山県昌景から数えて15代目となります。まさに、山県昌景ファンであれば一度は訪れる価値がある旅館なのでご紹介したいと思います。




 

武田菱と信玄公がお出迎え


さっそく、その温泉旅館に行ってみましょう!その名も川浦温泉「山県館」といいます。まさに、山県昌景からとられた名前です。山県館に行くには、JR中央本線の「塩山駅」から送迎バスにのるか、中央自動車道の勝沼インターをおりて車で向かうかの二通りがあります。私はゆっくり甲斐の景色を楽しむために、電車ぶらり旅を決行。

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JR中央本線塩山駅

さすが山梨県は甲斐、信玄公がお目見えです。写真の中央にある武田家の家紋である武田菱(四つ割菱)もオーラを放っています。

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信玄公像

公衆トイレの採光窓までなんと武田菱!いや~素晴らしい。武田の遺産が山梨を支えてるのは間違い無いです。

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トイレにも武田菱デザイン

つづいて桔梗紋と昌景公がお出迎え


さぁ、さっそく山県館に向かいます!送迎バスにゆられること20分~30分、山間にひっそりと佇む山県館に到着です。お出迎えしてくれたのは、なんと山県家の家紋である「桔梗紋」でした!塩山駅を降りてから歴史を感じまくりです。いや~いいですね、こういう旅は。桔梗紋といえば明智光秀でも有名ですが、山県家も同じ桔梗紋です。

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山県家の家紋である「桔梗紋」

 

そしてそして!玄関に一際目立って飾られていたのが、なんと山県昌景の武具達!!!まさに、私にとっては国宝級の品物が次々と現れて、もはやノックアウト寸前です。

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武田菱が中央に輝く

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山県昌景の武具一式

お間違いなきよう、ここは歴史資料館ではなく温泉旅館です。しかし、旅館のいたるところに山県昌景の足跡がありました。

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山県昌景の説明書

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左にうつるのが山県昌景のお墓

川浦温泉と信玄公の関係


この山県館がある川浦温泉というのは、まさに信玄と蜜月の関係です。信玄は積極的に温泉を開発し、兵士の治癒にあたらせたことでも有名ですが、この川浦温泉もまさにその一つです。「川浦の湯を整備せよ」と1561年5月10日に信玄より書かれた書状が今も大切に保管してあることから、その事実が伺い知れます。

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肌に優しいアルカリ性単純泉

 

山県館が建てられたのは、その後の1856年(安政3年)山県家第13代目当主の方が創業したのが始まりです。ご先祖様の領主である武田信玄公が整備し、それを後の世に子孫の方が旅館を営む。実に歴史は受け継がれ、脈々と伝えれられて行く、まさに生きた歴史です。実に素晴らしい。

 

この旅館はただ泊まるだけではもったいありません。ぜひ、武田ファンならびに山県昌景ファンの方は、想いを馳せてみてください。温泉も、実に解放感があり、肌に優しいアルカリ性単純泉なので長湯できますよ。川沿いの景色も実に見事です。




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