実は内藤と呼ばれていた?新宿の地名の由来を簡単に解説!

恒例の地名の由来シリーズです。今回の地名は「新宿」です。これはもう、知らない人はいないですよね。駅の降乗客数世界一を誇り、歌舞伎町やオフィス街等が混在したなかなかカオスな街、新宿です。私はあまり好きな街ではないのでよっぽどのことがない限りあまり近寄らないようにしていますが、逆に知名度でいえば全国トップクラスの街でしょう。

 

さて、この新宿という地名のことを考えたことはどれくらいいるでしょうか?実は以外と深掘すと面白いので、ぜひとも紹介したいと思います。さっそくいってみましょう!




 

まずは分解してみよう


これも恒例ですね。地名を考えるときは、まず文字を分解します。今回はこんな感じです、どどんっ!

<「新宿」を分解>

  • 新・・・新しい
  • 宿・・・お宿

これは・・・・そのまんま過ぎてあまり補足する必要がないですよね。そう、「新しい宿」です。しかし、これはいったいどういうことなんでしょう?ポイントとなるのはこれもそのまんまなのですが、「新しい」と「宿」です。これを順番に説明していきます。まずは、「宿」からです。

 

ポイント1:「宿」


実は、全国に「宿」のつく地名はたくさんあります。「原宿」なんかもそうですね。これは何を意味するのか?その正体は「宿場町」です。少し時代を遡ります。江戸時代になり、本格的に平和な時代が訪れると、とあるものがしっかりと整備されていきます。それが、「五街道」です。つまり、道路です。「東海道」や「中山道」が有名ですよね。いまではその五街道跡に大きな環状道路や高速道路、新幹線が整備されているわけですが、いかんせん昔は「自動車」や「新幹線」は存在しません。基本的に「徒歩」です。

 

そのため、例えば「江戸」から「大阪」までいくのにとても時間がかかるわけです。そうなると、必要となってくるのが「宿」なんです。そのため、必然的に五街道には宿場町が発展していきます。それが、現在の地名(○○宿等)にも残っているわけなんです。「新宿」もその一つだったんです。

 

では、次のポイントである「新」を見ていきますよ。




ポイント2:「新」


「新」という字は「旧」という字の対義語ですよね。ということは、何かが新しいはずなんです。これを説明するには、新宿の街の歴史を知る必要があります。

 

もともと江戸というのは徳川家康が入植する前は寂れた村々が点在するやせ細った土地でした。特に今の大手町付近は一面葦が生えている沼地だったんです。家康は干拓工事を行い、江戸を「乾化」し、多くの人が住める土地に変えました。

 

その家康の家臣に「内藤清成」という人物がいます。内藤清成は家康が江戸に移転する前に、先んじて鉄砲隊を率いて甲州街道と鎌倉街道が交差していた現在の新宿二丁目付近に着陣しました。というものの、もともと関東は北条王国でした。その北条王国は豊臣秀吉の「北条征伐(小田原征伐)」で倒されてしまいました。そのため、関東には北条の残党がいるため、北条を攻めた徳川家康はいつ命を狙われるか分からない状態だったんです。つまり、非常に治安が悪い土地でした。

 

結果として、無事家康は江戸にたどり着き、江戸城改築および江戸の町をつくりはじめます。その内藤清成の功績が認められ、内藤清成は現在の新宿付近に土地を与えられます。そして、その地は「内藤」とそのまま呼ばれることとなります。そう、新宿は「内藤」だったんです。では、いつから「新宿」に変わったのでしょうか?

 

内藤新宿の誕生


「甲州街道」、聞いたことありますよね?日本橋から甲府まで続いている道で、現在の「国道20号」です。その、甲州街道の一番目の宿を「高井戸宿」といいます。今でいう「高井戸」ですね。しかし、これがまた遠い遠い・・・・日本橋から高井戸までの距離がなかなかであったため、旅人は難儀だったそうです。そのため、内藤あたりに自然発生的に宿ができはじめ、これがいつの日か「高井戸宿に変わる新しい宿」ということで「内藤新宿」と呼ばれるようになったです。

 

そして、これもまた自然と「内藤」という文字がとれ、「新宿」だけが残ったわけです。つまり、「新宿」の正式名称は「内藤新宿」であり、本来は「内藤」なわけです。そんなこんなで、私は「新宿」のことを「内藤」と呼んでいます。

 

たまに、「ああ、内藤ね!」とわかってくれる人がいると、「こやつ、できる!」と感じるわけです。みなさまも、ぜひ使ってみてください笑




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