小田原征伐のきっかけとなった真田の名城、名胡桃城は教科書のような城だった!

行ってきました、「名胡桃(なくるみ)城」!!!名胡桃城は以前からずーーっと来たかった城で、なおかつよく通る道沿いにあるものの、それだけに「いつでも来れるぜ」とたかをくくって来ていませんでした。名胡桃城は小さな山城なんですが、歴史を動かすほど大きな事件があった城なんです。また、城の位置や形も秀逸で、資料館もしっかりしている力の入れ具合です。かなり、おすすめな城です。さっそく、見て行きましょう!




名胡桃城の基本情報から


名胡桃城は「群馬県みなかみ町」にある山城で、「沼田城」の支城として「沼田氏」によって築城されたと言われています。その後、大河ドラマ「真田丸」で一躍有名となった「真田幸村」の父である「真田昌幸」が攻め、真田氏の城となりました。

 

実はこのあたり、非常に城が乱立しており、位置関係でいうとこんな感じです。「利根川」「赤谷川」があり、またちょうどこのあたりは三国(新潟・群馬・長野)の境となるため、軍事的にも物流・経済的にも非常に大切な位置だっただけに、どの大名もほしがる場所だったんです。まず、ここがポイントです。

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このあたりは城の乱立地帯

そういう立地的にも非常に重要な位置だっただけに、このあたりは城の奪い合いがよく発生していました。名胡桃城が真田氏の時代になると、利根川をはさんで向い側にある北条氏の城である「沼田城」から北条軍が度々攻めてきますが、真田軍はいずれも撃退しています。

 

なんと小田原征伐のきっかけに!


そして、「事件」はおこります・・・・・この時代は豊臣秀吉の時代で、豊臣秀吉は全国に「大名間の私闘を禁ずる惣無事令」を出しました。つまり、「戦はだめよ」ということです。しかし、沼田城代の北条氏家臣「猪俣邦憲」が名胡桃城代の「鈴木重則」を騙し、名胡桃を占領してしまいます。

 

真田昌幸はすぐに豊臣秀吉に対して「大名間の私闘を禁ずる惣無事令が破られた」ことを訴え、ついに豊臣秀吉が北条攻めを決行します。そう、「小田原征伐」です。20万ともいわれる豊臣軍は北条王国である関東に攻め込み、次々と北条の名城を落としていきます。あとは歴史の教科書にものっていますよね。北条氏はここに滅亡し、代わって関東に入ってきたのはあの「徳川家康」でした。




教科書どおりの連郭式の城


名胡桃城は「連郭式」の城として知られています。「連郭式」とは「城の主要部が直線的に配置された城」のことを言います。山城なので天守閣等はないですが、しっかりとした砦の機能をはたしていることは、城を歩いててもわかりました。

 

ここが入り口ですね。さっそく、行きましょう!

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名胡桃城入り口

まずは「馬出」です。北条や武田の城には馬だしが多く見られます。真田氏も武田氏に属していましたからね。武田流の築城術も得ているのでしょう。

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馬出

草木が枯れているので凹凸が分かりづらいですが、堀がありそこに橋がかかっています。

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こっちの方が分かりやすいかもですね。

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また堀

どんどん進みます。このように、堀が張り巡らされており、そこに橋がかかるという連続です。このような仕掛けが直線的に配置されており、これは完全なる「連郭式」の造りだということがわかります。

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またまた堀

 

奥にすすむにつれ、堀がもっと深くなります。これ、夜はやばいです・・・絶対道を間違えて落ちます。

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またまたまた堀

そしてついに、「本郭(ほんぐるわ)」まできました!城の最深部ですね。奥の眺め、わかりますか?めっちゃ峻険です。このあたりは利根川の河岸段丘が有名で、山と平野の急勾配がはんぱないんです。これは本当にいいところに建ててますよ、名胡桃城。

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本郭

もうちょい奥へ行って見ましょう。ここまでくると、「堀」ではなく「崖」です。

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本郭のさらに奥へ

この場所を行軍する時は見晴らしのよい川沿いを行軍しますよね。すると、この名胡桃城からはその行軍の様子が丸裸なわけです。それくらい、見晴らしがよいですよ、ここは。

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利根川を望む

規模的にはかなり小規模で15分ほどで見て回れます。しかし、いつも城を見ていて思うのですが、やはり昔の人の地理感覚はずば抜けています。そんな、絶妙地理感と天下を動かすきっかけとなった名城、それが名胡桃城です。




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