からし蓮根は細川家に由来した薬だった?その歴史を簡単に解説!

「からし蓮根(れんこん)」といえば、熊本県の郷土料理として有名ですよね。よく東京では九州料理屋にいくとメニューに載っていたりします。もちろん私も好きなのですが、からし蓮根以上に好きなのがこれ!「森からし蓮根チップス」です!!!笑

 

いや~これはめちゃくちゃうまいですよ。ぜひ、熊本に遊びに行く人は買ってみてください。お酒のおつまみとしても最高ですよ。

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森からし蓮根チップス

 

さて、本日のお話はこの「からし蓮根の歴史」です。実は、からし蓮根は「とある歴史」がからし以上にぎゅっと詰まっているんです。それがけっこう面白いお話なので、ご紹介します。




熊本の大名変遷を知ろう


からし蓮根の歴史を知るには、まず熊本の大名の変遷を知る必要があります。熊本、つまり「肥後」の大名で有名なのはなんといっても「加藤清正」ですよね。かの「熊本城」をつくったことでも有名です。加藤清正は初代肥後藩主となるわけですが、その息子の「加藤忠広」の代で加藤家は改易されてしまいます。現代風にいうと「首になります」

 

加藤家に代わって熊本藩主となったのが「細川家」でした。時の藩主は「細川忠利」といい、「細川忠興」の三男であり、かつ母親は「明智光秀」の娘の「玉子」でした。「細川家」といえば鎌倉時代から続く源氏の名門であり、第79代内閣総理大臣である「細川護熙」さんは「肥後細川家」の18代当主なんですよ。

 

ここでのポイントは、肥後の大名家は「加藤家」から「細川家」へ移った、ということです。まずこれを、おさえておきましょう。




加藤清正と蓮根


加藤清正は熊本城を築城する際に、熊本城の外堀に蓮根を栽培しました。何故だか分かりますか?城というのは敵にせめれられたら「篭城」することがあります。その際に重要なのが「食料」です。食料が底をついてしまうと篭城もできませんからね。そのため、城造りの名人ほど篭城戦のことを考えて築城するんです。

 

加藤清正も築城名人といわれており、敵に攻められたことを考えて、非常食として外掘りに蓮根を栽培していました。まず、からし蓮根のうちの「蓮根」の由来はここから来ています。

 

細川忠利とからし


そして、次に「からし」の由来です。細川忠利は病弱であったことで知られていました。その忠利へ滋養強壮のために、「蓮根の穴に和辛子粉を混ぜた麦味噌を詰め、麦粉・空豆粉・卵の黄身の衣をつけて菜種油で揚げたもの」が忠利へ献上されました。それこそが、からし蓮根の原型だったんです。

 

また、細川家の家紋は「九曜(くよう)」といい、この蓮根チップスの写真の左下にある「中サイズの丸のまわりに、小サイズの丸が八つある模様」がそれなんです。

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細川家の家紋、「九曜」

蓮根の穴の形と、細川家の家紋である九曜が似ていたことから、門外不出の料理となったという伝承もあります。熊本を代表する料理である「からしれんこん」には、「加藤清正」「細川忠利」、そして「九曜」とが絶妙に絡み合って、現代にまで生き続けているんです。




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