江戸時代の旅行事情とは?庶民の間で流行した「おかげ参り」について解説!

今は「当たり前」となっていることが、昔では「当たり前ではない」ことは往々にしてあります。「常識」とはその時代の「常識」であり、いってみれば「常」ではありません。その一つが「旅行」です!

 

私は旅行が嫌いな人をあまり聞いたことがありません。もちろん「海外旅行はちょっと・・・・」という方はいらっしゃると思いますが、基本的に旅行というのはポジティブに捉えられているものだと思います。

 

しかし、その「旅行の常識」というのも一昔前では「常識」ではなかったんです。それを、ついほんのちょっと前の時代である「江戸時代」を例にご紹介します。江戸時代の旅行事情とは、どのようなものだったのでしょうか?見ていきましょう。




 

江戸時代の旅行ルール


まず、基本的な江戸時代の旅行ルールからです。江戸時代というのは今のような「都道府県制」ではなく、「藩制」でした。加賀藩や尾張藩等々などですね。そして、基本的に庶民はこの藩から外に出ることを禁止されていたんです。つまり、今でいうと「自分が住んでいる都道府県の外に出てはだめよ!」ということなんです。けっこう驚きじゃないですか、これ?つまり、移動の制限がかかっていたわけです。

 

では、藩の外に出るためにはどうすれば良いのかというと、必要なのは「通行手形」となります。役所等に届出を出して通行手形をもらえれば、それが藩外にでる「証明書」となったわけです。いってみれば「国内版パスポート」みたいなもんですよね。

 

では、どのような届出をすれば通行手形をもらえるかというと、「湯治」や「寺社仏閣の参拝」です。そのため、江戸時代の旅行といえば「温泉」か「寺社仏閣巡り」だったわけです。

 

おかげ参りが大流行


いまや「沖縄」や「札幌」などが国内旅行の中でも屈指の人気スポットですが、江戸時代は違いました。江戸時代屈指の観光名所といえば、「伊勢神宮」です。この伊勢神宮への集団参りが江戸時代に大流行したんです。これを「お陰参り(おかげ参り)」といいます。いまでも伊勢神宮には「おかげ横丁」という有名な通りがありますが、まさにその「おかげ」です。

 

当然、当時は新幹線や飛行機はないため、基本的に「徒歩」で全国から伊勢神宮へ向うわけです。大阪からは約5日、江戸からだと約15日もかかったみたいですよ!しかも片道です。とてもじゃありませんが、現代社会における社会人の夏休み程度じゃ全然足りないですよね。




 

江戸時代版旅行代理店の「御師」


さて、ではここで私たちが旅行する時のことを考えて見ましょう。まず旅行前にすることがありますよね?宿の手配から食事の手配、さらには交通機関の手配も必要です。でないと、目的地へたどりつけないですからね。今では旅行会社がその役目を代行してくれていますが、実は江戸時代にも旅行会社的存在がいたんです。それが、「御師(おし)」です。

 

「御師」はまさに江戸時代版の旅行会社の機能であり、宿の手配から参拝ツアーまで旅行代理店のようなことを一挙に引き受けていました。また、お土産の手配からさらなる旅行のプロモーションまでになっており、日本の旅行会社の原点がまさに「御師」という存在だったんです。

 

また、このようにおかげ参りが流行することにより、そのための道の整備や宿の充実、またお土産屋の登場など閉鎖的な江戸時代社会においてかなりの経済圏がうまれました。

 

今は世界的な危機のため海外旅行はのみならず、国内旅行もいけない状態ですが、むしろ旅行にいけるというのは「非常識」なことでした。こんな機会もめったにないので(やりたくても常時はできないので)たまには江戸時代の人々のように、自粛生活を気ままに楽しんでみましょう!




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