意外と知らない?「東海道五十三次」の「五十三次」を簡単に解説!

大河ドラマ「 青天を衝け」、始まりましたね~!初回はかなりの高視聴率みたいでしたね。そして、なによりも驚いたのが主人公である「渋沢栄一」は幕末~の人にもかかわらず、江戸幕府を樹立させた 「北大路欣也」演じる「徳川家康」がのっけから登場したことです!しかも、我々視聴者への語り口調で話すという入り方は大河ドラマにおいても例を見ないのではないでしょうか。というわけで、2話以降も期待です!

 

さて、そんな江戸時代にまつわるお話です。「東海道五十三次」というワードを聞いたことがない人はまずいないと思います。しかし、「東海道五十三次」はそもそも何なのか、特に「五十三次」ってどういう意味があるのか知っている人は少ないんじゃないでしょうか?多くの人は「歌川広重」「東海道五十三次」を思い浮かべるかもしれません。そこで、今回は「東海道五十三次」とは何なのかを簡単に説明します。




江戸時代に整備された五街道の一つ


まずは情報の整理からです。「江戸時代」は徳川家康によってひらかれましたが、それまでは長らく続く戦乱の世でした。「織田信長」「豊臣秀吉」と続き晴れて天下泰平の世を築いた「徳川家康」は、江戸を拠点として「乱世」ではなく「平和」な世の中を築くために様々な政策を実行します。その中の一つが「五街道」の整備です。

<五街道>

  • 甲州街道(日本橋~下諏訪)
  • 東海道(日本橋~京都三条)
  • 日光街道(日本橋~日光)
  • 奥州街道(日本橋~白河)
  • 中山道(日本橋~近江草津)

「東海道五十三次」「東海道」とはこの「五街道」の一つです。この五街道はすべて「日本橋」を起点としており、それぞれの方面に伸びています。驚くことに、このいずれの街道も、現在「国道」「高速道路」「線路」のいずれかの道となっています。現在の道路インフラの基礎はこの時しっかりと設計されたものの上に成り立っているんです。




「次」とは「宿駅伝馬制度」に由来する


そもそもこの「街道」を整備するにあたる目的の一つとして「情報伝達の精度と高速化」というのがありました。そこで考え出されたのが「宿駅伝馬制度」です。「宿駅伝馬制度」とは、「街道沿いに宿場を設け、公用の旅人や物資の輸送は無料で次の宿駅まで送り継ぐという制度」のことを指します。このようにして、情報の精度と高速化を実現したわけなんですが、この時に「宿場町」が生まれました。それが、東海道では「五十三個」あったわけです。つまり、「江戸」から「京都」まで情報を運ぶには「五十三回、駅(宿場町)を継ぎ変え」する必要がでてきます。このことから「五十三回継ぐ→五十三次」となったわけです。

 

東海道五十三次は「日本橋」→「品川宿」→「川崎宿」→「神奈川宿」→「保土ヶ谷宿」・・・・・と続くのですが、ここで何か気づきませんか?そう、「今でも残る地名」ですよね??むしろ、有名な地名ですよね。電車の駅名でもありますし。つまり、ここでも江戸時代のインフラの上に現インフラがなりたっていることがわかります。

 

ちなみに、甲州街道は「日本橋」→「(内藤)新宿)→「下高井戸宿」→「上高井戸宿」→「国領宿」とこれまたがっつり現在にいたるまで続くインフラとなっています。すごいですね、昔の人は。

そして、皆さんもご存じの「歌川広重」「東海道五十三次」というのは東海道の五十三ある宿場風景を描いたものとなります。

 

「五十三次」だけではない!


ここまでくればもうお分かりかと思いますが、「東海道五十三次」だけではないことがわかりますよね。五街道すべてに宿場町および宿駅伝馬制度は存在するので・・・・

<五街道>

  • 甲州街道(日本橋~下諏訪)→甲州街道四十三次
  • 東海道(日本橋~京都三条)→東海道五十三次
  • 日光街道(日本橋~日光)→日光街道二十一次
  • 奥州街道(日本橋~白河)→奥州街道二十七次
  • 中山道(日本橋~近江草津)→中山道六十七次

となります。実は、一番宿場町が多いのは中山道なんです。ということで、ここまで読んだら五十三次マスター間違いないです。また、これを機にぜひ他の街道次も知ってあげてくださいね。




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