早乙女温泉で「宇都宮軍」対「那須軍」の「早乙女坂古戦場」を発見した話
歴史好きの私ですが、「温泉」もソムリエの資格を取得するほど大の好物です。私の経験上、歴史と温泉は隣接している場合が多いのですが、今回も見つけてしまいました・・・・なんと「早乙女坂古戦場」を!!!
歴史の教科書に出てくるほど大きな合戦ではないのであまり耳にしたことがない方も多いと思いますが、この地域では非常に大事な戦いの一つなので、ぜひご紹介いたします!
早乙女温泉とは
と、歴史の話に入る前にまずは「早乙女温泉」です。早乙女温泉は栃木県の「さくら市」というところにある、温泉マニアの中でも有名な温泉です。成分が濃いうえに、油臭がします。色もエメラルドグリーンのような色をしていて、関東ではかなり珍しい部類の温泉です。
温泉外観
かなりお湯の質がめずらしいので、行ったことがない人はおすすめです。関東在住の方であればふらっと日帰りが可能ですよ。
早乙女古戦場を発見!
そんな早乙女温泉に向かっていた時、偶然発見してしまいました、「早乙女坂古戦場」を!本当に「早乙女温泉」のすぐ隣にあります。こんな感じです。じゃん!
早乙女坂古戦場
小高い丘になっている
さて、この早乙女坂古戦場ですが、どんな合戦だったのかを簡単に説明します。
「宇都宮軍」対「那須軍」の戦い
「早乙女坂の戦い」が発生したのは1549年と戦国時代の真っ只中です。「織田信長」が「今川義元」と戦った「桶狭間の戦い」が1560年なので、信長目線でいうと幼少期の頃です。まず、時代感としてはこんな感じです。
そして、重要なのが「早乙女坂の戦い」の「場所」です。この合戦の場所はここらへんです。
位置的にいうと、現在の「宇都宮」と「那須」のちょうど中間くらいです。これが、非常に大事なんです。
当時の「栃木県」は「下野(しもつけ)」と言い、国は統一されておらず、各地に群雄が割拠していました。その中の二大勢力が「宇都宮氏」と「那須氏」です。今は地名になっていますが、れっきとした豪族です。「宇都宮氏」は鎌倉時代からの名族であり、「那須氏」はあの「那須与一」を輩出した一族です。
そして先ほど言いましたが、なんといっても「位置」です。ちょうど「宇都宮」と「那須」の中間にあたります。つまり、このあたりは当時、「宇都宮氏」と「那須氏」の領土境界線だったんです。そのため、領土境界を争って戦いが発生したわけです。
戦いの行方
この戦いは、数のうえでは圧倒的に宇都宮軍が有利でした。宇都宮軍の兵力「2000」に対し、那須軍は「500」と数の上では圧倒していました。しかしながら・・・桶狭間の戦いしかり、戦は数だけではありません。なんと、この戦いで宇都宮氏の20代目当主である「宇都宮尚綱」が討たれてしまいます。
宇都宮尚綱の供養祠
対する那須軍の大将は那須氏19代目当主である「那須高資」でした。この人物も後に宇都宮氏の家臣に謀殺されてしまうのですが、少数で大軍を、しかも相手の大将を討ち取ってしまうというのはまさに「下野の桶狭間の如く」と言ってもいいでしょう。
説明板
温泉に入りに来たのにまさか、このような歴史に出会えるとは・・・最高の瞬間でした。その後、温泉に入りつつ、当時の早乙女坂の戦いに思いを馳せたのは、言うまでもありません。だから、ふとした歴史との出会いはやめられません。