「磐梯熱海温泉」と「熱海温泉」の関係は?その由来を簡単に解説

前回に引き続き、会津シリーズです。会津に向かう途中、温泉ソムリエとしては反応せざるを得ない地名がありました。その名も「磐梯熱海温泉」!位置的には福島県の「郡山」「会津若松」のやや郡山よりに位置します。

 

さて、「熱海」と言ったら関東の人は静岡県にある「熱海温泉」をイメージすると思います。では、この福島県の「磐梯熱海温泉」「熱海温泉」、果たして関係があるのでしょうか?「磐梯熱海温泉」の地名の由来を簡単に解説します。




磐梯熱海温泉について


改めて、「磐梯熱海温泉」について簡単に説明します。位置的には「猪苗代湖」の東側に位置し、「郡山」の奥座敷といった感じです。関東地方から「会津若松」へ向かう時には必ず磐梯熱海温泉を通ります。

さて、気になる泉質ですが「アルカリ性単純泉」といって、良く言えば「体に負担が少ない温泉」であり、温泉マニア的に言えば「特徴があまり無い温泉」です。体に負担が少ないため「磐越三美人湯」「名湯百選」にも選ばれています。

 

と、温泉の説明はここまでにして福島県の「磐梯熱海温泉」と静岡県の「熱海温泉」の関係性について説明します。静岡県の「熱海」は海に面しているからまだ分かるものの、磐梯熱海温泉は完全に内陸にありますからね。位置的にも離れているものの、実はふか~い関係があるんです。




磐梯熱海温泉と熱海温泉の関係


時代は鎌倉時代に遡ります。そして、キーパーソンは大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公顔負けで目立っている「源頼朝」です。そしてこの源頼朝の家臣に「伊東祐長」という人物がいます。名前の通り、「伊豆半島の伊東にルーツ」を持つ人物です。

 

源頼朝は平家を倒した後、奥州(東北地方)に強大な勢力を持つ「藤原氏」を倒しに出兵します。いわゆる「奥州藤原氏」です。幼少の頃の源義経を育て、また頼朝の迫害から彼を匿まったのも奥州藤原氏ですよね。この頼朝の奥州への出兵を「奥州合戦」と言います。

 

奥州合戦後、頼朝は伊東祐長にこの地(今の磐梯熱海)を与えます。そして、伊東祐長は彼の故郷である伊豆半島の「熱海」の名をこの地にも転用したことにより、「磐梯熱海」が誕生しました。これが、「熱海」「磐梯熱海」の関係です。また、「熱海」と名付けたということは、当時からこの地域に温泉が湧き出ていたということも示唆していますよね。

 

このことから、内陸にも関わらず「熱海」とついている理由も分かりましたよね。ちなみに、この磐梯熱海温泉は区分的には「福島県郡山市磐梯町」に位置します。面白いことに、この「熱海町」には「上伊豆島」「下伊豆島」等、伊東祐長のルーツである「伊豆」にちなむ名前が随所に見られるんです。

 

伊東祐長も磐梯熱海におりつつ、故郷の伊豆を偲んでいたのでしょう。磐梯より、思いを馳せつつ。




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