「会津」の地名の由来を簡単に解説

所用にて福島県の「会津若松」に訪れてきました。会津といえば「白虎隊」「鶴ヶ城」で有名ですよね。また、「会津盆地」として米どころとしても有名で、川あり山あり、広い土地ありと、古来よりこの会津地方が福島の中心だったことが鶴ヶ城から会津盆地を見下ろしてよく分かりました。

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鶴ヶ城から会津盆地を望む

 

さて、この会津ですが「会津坂下」「会津美里」「会津坂本」といったように「広域な地域名」となっています。「会津」ってかなり独特なネーミングで面白いとおもいませんか??ということで、久々の地名シリーズは「会津」です!さっそく、いきましょう。

 

ちなみに、「会津美里」は徳川三代のブレーンであり、明智光秀なのでは?と言われている「南光坊天海」の生誕地と言われているんですよ。




まずは分解してみよう!


地名の由来を考えるときは、まずは「分解」です。これも恒例ですね。こんな感じです、どんっ!

<会津を分解>

  • 会・・・「出会う」の「会う」
  • 津・・・船着き場、港

 

う~ん、単純なような奥が深いような・・・また、地名には当て字ということもよくよくあるので、そのあたりも考慮する必要がありますが、とりあえず文字を分解するとこんな感じです。

 

実は、「会津」の地名の由来は大きく二つあるんです。一つは「地形由来」の説、もう一つは「古事記(日本最古の歴史書)由来の説」です。順番に説明していきます。

 

地形由来の説


これは実際に会津を訪れると分かるのですが、この地域は「盆地」になっています。盆地になっているということは「周辺より低地の土地が広がって」います。「低地」ということは自然と「川」が流れ込みますよね。

 

実際に周辺から「只見川」「押切川」が流れており、それらが合流し「阿賀川」となって会津盆地を流れています。そして「川」があるということは「津(船着き場)」もできますよね。

 

つまり、です。「川が出合うところにおける津(船着き場)」つまり「会津」というのが、この地形由来の説です。これは、実際に会津盆地を目で見るとよく分かるので、なかなか納得する説です。




古事記由来の説


古事記が完成したのは西暦712年のことですが、なんと古事記の中にはすでに「会津」という言葉がでてきます。正式には「会津」ではなく「相津」と表記されています。どういうことか、簡単に説明します。

 

話は第10代の天皇である「崇神天皇」の頃に遡ります。西暦でいうとだいたい3世紀後半の頃ですね。この崇神天皇は日本全国に「四道将軍」というのを派遣したことで有名なんです。「四道将軍」とは現在の北陸地方である「北陸道」、同じく東海地方である「東海道」、山陽地方である「山陽道」、山陰地方である「山陰道」にそれぞれ「皇族」である「将軍」を派遣し、全国を鎮静教化した事業と思ってください。

 

「四道将軍」「相津」がどう関係するかなんですが、さきほどの北陸道を進んだのが「大彦命(おおひこのみこと)」と言い、また東海道を進んだのが「武渟川別(たけぬなかわわけ)」という皇族なのですが、実はこの二人は親子なんです。そして、この二人がそれぞれ北陸道と東海道を進んでいき、ちょうど出会ったのがこの「相津」なんです。「この地域の津で相まみえる」から「相津」と呼ばれたんでしょう。

 

地名の由来というのは「確実にこれだよね」と断言できることは数少なく、この会津の地名の由来も同様です。しかしながら、会津の「地形由来の説」は現実的であり、「古事記由来の説」はロマンがあります。私が人に会津の地名の由来を説明するときはどちらも説明していますが、その人がどちらの説を想起するかは、その人の自由でよいのかなと思っています。

 

ぜひ、一度会津を訪れてご自身の肌で会津を感じてみてください。せっかく会津を訪れたので、会津歴史シリーズを何本か書こうと思っているので、こうご期待ください!




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