元旦なのでお年玉の由来と歴史をまとめておこう

kagamimochi

明けましておめでとうございます。いや~この時期いつも思いますが、一年はあっという間ですね。年々早く感じてきます。ですがせっかくの人生、楽しく元気にやってきましょ。今年もどうぞよろしくお願いします。

 

さて、本日は元旦。お正月の風物詩といえばそう、「お年玉」ですよね。私はよもやお年玉をもらえる年齢ではなくなってしまいましたが、考えてみたらお年玉にも歴史があります。しかも、実はお年玉って今でこそ大人はもらわない風潮になってますが、昔はそんなことなかったんですよ??本日はせっかくのお正月なので、お年玉の由来について、お話します。




 

「お年玉」は「御歳魂」


全てをやっている家庭は少ないですが、正月って「門松」を置き「鏡餅」を備えますよね??あの鏡餅には「歳神様」が居つくと考えられていたんです。そう、つまり門松は歳神様をお迎えするものなんです。これもあまり知られてませんよね。なにか縁起が良いものくらいの認識が大半だと思います。まぁ縁起は良いのですが。

 

話は戻ります。そして、その鏡餅には歳神様の魂がやどります。なので、歳神様の魂で「歳魂」となります。神様の魂なので、奉らなければいけません。なので「御歳魂」となるわけです。つまり、「御歳魂=おとしだま=お年玉」ですよね。まとめると、お年玉とは、鏡餅にやどった歳神様の魂のことを指すんです。

 

つまりお年玉とは


さて、お年玉とは鏡餅にやどった歳神様の魂であることを説明しましたね。お正月にはその魂を家族に下げ、みんなで食べる。これがお年玉なんです。そうすることにより、歳神様から運や活力をいただくわけですね。その中でも将来を担う子供には多く御歳魂をあげます。そう、とても簡単に表現すると、お年玉とは鏡餅のことであり、なにも子供だけのものではないんですね。子供の方が多いというくらいです。

 

あれ?でも今のお年玉って完全に「お金」ですよね??いったいいつから鏡餅がお金にかわったんでしょうか??

 

お年玉のはいつ鏡餅からお金にかわったか


お年玉の歴史は古く、かなり諸説ありますが庶民の間に定着し一般的になったのは、江戸時代の頃といわれています。まぁ考えてみればそうですよね。長い間の戦乱の時代が終わり、徳川体制の下大きな戦争が無かった江戸時代の日本では、様々な文化が生まれ、定着していきましたから。戦争がない時代が一番分化が育ち、定着するんです。

 

もちろんそのお年玉文化は江戸時代が終わり、明治時代になっても庶民の間で受け継がれていきます。そして戦後となり、日本がとある期間に入ります。そう、「高度経済成長期」です。この時期に、日本は世界の中でもとても裕福な国に変貌を遂げます。一億総中流という言葉も聞いた事があると思いますが、様々な有名企業がうまれ、多くの人が働き、働けば働くだけ給料が増えていく時代です。そうなると、当然家庭におけるお金の量も増えていきますよね。それと同時に、この時代は食の欧米化をはじめ、欧米文化も大量に流入することにより、日本の伝統文化の様々なものが簡略化されていきます。

 

そう、その高度経済成長期の過程で日本の「御歳魂」は「お年玉」、つまり鏡餅からお金を渡す風習へ完全にスイッチしたと考えられています。家族の少子化もからんでいるでしょう。つまり、時代の流れの中における様々な外的要因により、お年玉は変化していったと考えるのが妥当でしょう。

しかし、個人的にはその意味合いは日本人として覚えておくべきだと思っています。でなければ、ただの形骸化した作業になってしまうからです。ぜひ、お年玉を渡す時に子供には、お年玉の意味もあわせて教えてあげてください。




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