草津を世界に広めたお雇い外国人「ベルツ」無しに草津は語れない

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「草津温泉」といえば日本三大温泉に数えられるほど、膨大な湯量と良質な泉質を誇る日本でも超がつくほど有名な温泉地ですよね。温泉ソムリエでもある私も年1は草津におもむき、ここ草津の酸性かつ良質なお湯につかっています。

 

さて、この草津温泉を語るときに絶対に外せない人物がいます。その名も「ベルツ」というドイツ人医師です。草津には「ベルツ通り」をはじめ、ベルツの名がつくものがありますが、全て彼の名前が由来となっています。

 

草津に来たことがある人もこれから訪れる人も、ぜひこの「ベルツ」の偉大な功績を知っててほしい!ということで、ベルツの偉大な功績をご紹介します。




 

お雇い外国人として来日


まずは、ベルツと日本の接点からお話します。ベルツはドイツ帝国時代の医師で、初めての日本人との接点は彼がドイツで日本人留学生を治療したことからはじまります。1875年のことです。その頃の日本というのは、江戸時代が終わったばかりの頃で、殖産興業・富国強兵を目指していたころですね。

 

殖産興業・富国強兵を推し進めるために明治政府が盛んに行ったことが「お雇い外国人の招聘」です。つまり、欧米諸国から技術者や知識人を日本に呼び、教えを乞うということです。

 

例えば、「大森貝塚」を発見した「エドワード・モース」や怪談で知られる「ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)」、「少年よ、大志を抱け」で有名な「クラーク博士」らもお雇い外国人です。世界遺産である「富岡製糸工場」も「ポール・ブリュナ」やナウマン像を発見した「ナウマン」もそうですね。枚挙に暇がありません。

 

そして「ベルツ」もこのお雇い外国人の一人です。ベルツは1876年に東京医学校(現在の東京大学医学部)へ教師として招聘されました。当時のドイツというのは世界一の医学をほこっていましたからね。




べルツによる草津再発見


ベルツはお雇い外国人の中でも、日本滞在歴がかなり長い人物でした。なんと日本滞在は29年にも及び、日本人の奥さんを娶っています。その長い滞在歴の中でも、最大の輝かしい功績の一つが「草津の再発見」です。

 

先述しましたが、ドイツというのは当時の医療先進国です。そして、「湯治」という体系的な温泉療法の考え方も、ドイツから輸入されたものです。ベルツが草津を訪れたとき、草津の泉質や周囲の恵まれた環境を見て驚き、こう記しています。

「草津には無比の温泉以外に、日本で最上の山の空気と、全く理想的な飲料水がある。もしこんな土地がヨーロッパにあったとしたら、カルロヴィ・ヴァリ(チェコにある温泉)よりも賑わうことだろう」

 

草津の魅力にいち早く気付いた彼は1890年、草津におよそ6000坪もの土地と温泉を購入し、ここ草津に温泉保養所の設立を目指します。それと同時に、草津の魅力を世界に発信していきます。また、温泉通の彼は、伊香保温泉にも別荘を持ち、伊香保温泉にも通いつめていました。温泉療法という観点から温泉大国群馬の魅力に気付いていたのは、彼のみだったでしょう。伊香保温泉の奥の湯には彼の銅像も建立されていますよ。

 

草津滞在時はぜひベルツを


その後、宮内省(現在の宮内庁)の侍医となった彼は、勲一等旭日大綬章を受章し、ドイツへ帰国します。伊藤博文の要請に従い再来日したものの、晩年はドイツへ帰国し、1913年にその生涯を終えます。

 

草津のみならず、日本に多大な功績を残したベルツ。現在でも草津ではその名を残しています。ベルツ通り、車で何回通ったことでしょうか。草津には「ベルツ記念館」もあるので、温泉を堪能したあとは、ぜひ彼の功績に思いを馳せてみてください。




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